篠笛の方なんですが、前回で「寿獅子」は上がりました。なので、今回何を稽古するのかまったくわかりませんでした。神楽囃子に行くのか、はたまた最初に戻って江戸囃子をもう一度浚うのか。基本は師匠にお任せなんですが、自分の気持ちとしては神楽囃子に行くかどうかもわかりませんが、それはまだ置いといて、江戸囃子を洗練させたい、という気持ちが強かったです。取りあえず、屋台の長い中ノ切と秘曲の鞨鼓を家で練習してお稽古に臨みました。
師匠から「獅子はあがったんだよね」と確認があり、はて、何をやろうかと思案顔。「一応一通りは全部やったんだよね」と続き、「太鼓が玉を自由に打って、それに笛を合わせるのはやりましたか?」とありました。ドキッ!今の自分に一番足らない部分を的確に突いてくるお師匠様です。
ということで、師匠の張り扇を聞いて玉の終わりを捉える練習でしたが、もうボロボロです。いかに普段決まったパターンに慣れきっているのかを痛感。まずは笛の玉の節回しの引き出しが少ない。投げ合いでよく使う串中に頼りすぎ。玉のメロディを考えながら太鼓の手を捉えるのは無理でした。
今の自分だったら、ある程度の長さの玉のパターンを用意して、それを眠っても吹けるようにしておくことが先決だと思いました。できたら先玉用と後玉用の2パターンですね。師匠もCDとか聞いて玉の節を研究してください、とのこと。
師匠曰く、自由に打つ玉に合わせて吹けるようでないと一人前とは言えない、とのこと。まさしくその通りです。自分でもひとっ囃子吹けるようになった、なんて思っていましたが、本当の意味ではまだ吹けないということがわかりました。で、これは締太鼓を打つ場合も同じで、普段附け本通りの手しか打ってない自分は本当意味ではまだ打てていない訳です。私の笛の稽古をしながら師匠は他のお弟子さん達にアドバイスされていました。
太鼓の稽古は、いかに音の粒が流れるよう打つか。動作を溜めるところと、流れるように続けるところ、聞こえない音を聞かせるイメージ。大太鼓、まだまだ身体に入っていません。自分は不器用でなかなかできないんですが、それでも諦めずに続けているうちに師匠の何気ない話がきっかけになったりするんです。自分の続ける力を大事にします。