ぞめきの三味線は難しいのだ

 阿波おどりのお囃子のことを「ぞめき」と言います。漢字を当たると「騒き」となり、「浮かれ騒ぐこと。にぎわい。さわぎ」という意味合いです。はい、ここをお読みの方は関東の三味線弾きの方も多いんですが、こちらには三味線で「さわぎ(騒ぎ)」というのがあります。イメージ的には芸者さんがお座敷で、お客に「姉さん。ひとつ賑やかなやつを頼むよ」と言われたときに弾く曲です(笑)。

 偶然かどうか、同じ三下がりで使っている音も同じです。いろんな替え手があるのも同じ。一番の違いはリズムで「ぞめき」の方は、浮いたリズム、はずむっていう方がこっちでは多いかな。

 で、このリズムがけっこう難しい。連の練習で、久しぶりに連長の厳しいダメ出しをもらいました。指摘されたことは何となくわかるんですが、じゃあどうしたらいいのか?家に帰ってから、いくつか手本になりそうな音源聞いて、自分の描いていたイメージとのズレを探す作業。感覚的に修正できない、理屈で理解するタイプなんです。

 たぶん、正解(に近いもの)がわかった(と思う)。鉦のリズムと、自分のイメージしていた三味線のリズムにズレがありました。但し、正解がわかったからってすぐにできる訳じゃあないんです。癖になっているものを修正しなきゃいけないので。

 でも、これ実は割と最初の方に言われていたことで、鉦と三味線って同じように打っているんです。鉦の練習をみんなするといいよ、みたいなことも。そういえば、鉦を見ながら聞きながら弾くと弾きやすいってのは感じていたんですが、ふと、鉦がいなくなるとすっかり忘れちゃっている自分でした。

 お稽古とか練習って、言われたこと、注意していたことが、いつの間にか忘れちゃっていることが往々にしてあります。そういうのをチェックしてくれる人がいるのは本当にありがたいです。師匠とか先生と言われる人は、同じことを何千回というんでしょうね。自分も阿波おどりに限らず、各先生方に何回も同じこと言わせちゃっていますね、間違いなく。反省。

 

見る阿呆の総括~阿波おどりはどこへ向かうのか~

 私は根っからの鳴り物奏者です。が、見るのも大好きです。阿波おどりはもう22年くらいやってますが、私以上の経歴の持ち主はこの世界ゴロゴロいるので、まあペーペークラスに毛が生えたくらいです。そんな自分ですが、何となく思っていることを過去何回かまとめているので、今年また書いてみます。

 その前に阿波おどりに関しての論文を見つけたのでリンクを貼っておきます。

観光資源としての阿波踊りの成立過程とその要因

 10年ほど前の論文ですが、ざっくり今の阿波おどりの状況を捉えているなと思います。では実際踊りや鳴り物はどうなってきているのか?自分なりに少し整理してみました。

 ご存じない方もいるかもしれませんが、阿波おどりはもともと行進型の踊りです。単純な振りにシンプルなお囃子です。もともと自分が楽しむための踊りですから、難しい振りも難しい音も必要なかった訳です。忘我の境地、いわゆるトランス状態になるには、単純な振り、単調な音が向いていたからというのもあると思います。

 そんな阿波おどりがホールで演舞されるようになってきました。舞台で見せる阿波おどりの登場です。ここで昔の舞台がどうだったのか?私以上に詳しい人に語って欲しいところですが、私はかなり昔の高円寺のセシオンで行われた踊りのビデオを見たことがありますが、それはもうシンプルで、ただ女踊りが踊って、男踊りが踊って、鳴り物はひたすらぞめき囃子を鳴らす、みたいな内容でした。

 それがここ20年くらいで劇的に変化してきました。踊りは構成と呼ばれる複雑なフォーメーションをやったり、演舞にストーリー性を持たせるようになったり、歌舞伎の六方を取り入れたり、傘のような小道具を使ったりと、他の芸能を貪欲に取り入れるようになってきました。

 そうなってくると鳴り物の方も変化してきます。単純に踊らせるためだけのものから、聞かせる、あるいはその場面に合わせた効果音であったり、BGM的な役割を担うようになってきています。使われる楽器も、竹が入ったり、鈴が入ったり、拍子木が入ったり。徳島民謡に長唄、端唄、現代和太鼓の要素を取り入れたりもしています。

 今年、徳島と高円寺の舞台を見て、その連の目指す方向性が大きく分けると、シンプルな構成で踊りそのものを見せる、そして踊りのための鳴り物を志向する連と、総合芸術としての舞踊劇のような面を強く打ち出している連の、二つに分けられるかな、と感じました。舞台をご覧になった方はたぶんわかると思います。

 以前はそんなに凝った構成でなくても、上手い踊りと鳴り物を聞かせてくれれば私自身も満足していましたが、ここ最近は少し物足りなさを感じるようになってきています。やはり、いろいろ凝った構成を目にする機会が増えてきて、目や耳が贅沢になってきたからだと思います。そしてこういった傾向は見る阿呆全体に広がっていくと思います。だって、初めて見たときから舞台踊りがあった、という世代が増えていく訳ですから。

 ただ、逆にそういった舞台偏重な流れに背を向けて、あくまでメインを流しと輪踊りにして、祭的な雰囲気を重要視することを選択する連も出てきているのかなと思います。もともとお祭りなわけで、そこに小難しい芸能的なものを持ち込むことを良しとしない考えです。また、小難しいことは抜きにした、はっちゃけってる連もあります。

 こうして、普段何気なく見ている阿波おどりも、実はその連が志向しているものは全く違うんですね。その違いがあるからまた面白いのかもしれません。ただ、忘れてはいけないことは、阿波おどりは観客と一体型の踊りであること。踊る阿呆と見る阿呆の垣根がくずれる瞬間があって、皆が踊る阿呆、あるいは手拍子で囃す阿呆になることが阿波おどりの醍醐味であると思います。

 最後にこれからの阿波おどりについて。阿波おどりって今まさに進化・変化している芸能(芸能という呼び方に異論がある方もいるかもしれませんが)です。そこで、変わることを恐れてはいけないと思います。固まるにはまだ早すぎます。衣装一つとっても、以前は使えなかった色とか素材とかが使えるようになってきた今、また、動画全盛の今、ビデオ映えする衣装というのも大事な要素だと思います。昼間明るい時間にやることも以前より多くなってきているので、日中でも色映えすることも大事です。

 今年、男踊りで拳を突き上げる踊りを、徳島の選抜でも高円寺のセシオンでも見ました。この拳を突き上げるっていうの10年くらい前にくすのき連さんのHPで徳島でやっていたという記事を読んだことがありましたが、私個人的には初めて見ました。感想は使い処によっては、いいんじゃないのと。こういった新しい動きも、これから色んな使い方を試され洗練されて、阿波おどりの日常の動きになるかもしれません。

 鳴り物も、竹とてんてんはある程度一般的になってきてます。舞台では拍子木もけっこう使われてきています。以前のように笛・三味線・大太鼓・締太鼓・鉦、だけでは表現力不足になってきています。

 わたしもこの先身体の動くうちは、この阿波おどりに関わっていくでしょうから、今後も阿波おどりの行き先を見続けていきたいと思います。

江戸囃子のお稽古

 寿獅子やひとっ囃子を稽古したんですが…。ダメ出しのてんこ盛りでした。祭りが終わってちょっとは上達してるかなあ、との甘い考えは粉砕されました(汗)。ちょっとあまりにも出来が良くなかったんで、いろいろ考えました。考えて考えて、だいたいの原因はわかってきました。

 篠笛は間の取り方が全然できていません。じゃあ、今までできていたのか?と言われれば、まあできていたんですね。以前と今で違うのは、太鼓の手がわかってきて太鼓の音を聞くようになってきたことなんです。それはいいことでしょ、と言われそうですが、実はそうでもあり、そうでもない部分があります。

 以前は笛の唱歌だけを一生懸命追って吹いていて、結果太鼓となんとか合っていた、ような状況でした。今はなまじ太鼓の音がわかっているので、ふとした瞬間にあれ?これで笛合っているのかな?と不安になったりしてその結果笛の手が遅れたり早まったりしているような状況です。特に弟子同士で合奏する時にこれが顕著です。

 師匠に言われたのが太鼓のこの部分にこの音をぶつける、という意識を強く持つこと。太鼓の手に、天天ツ、イヤ、テレツクツ、ヨーイ、テレツクツ、天ツクツというのがあって、これに笛がチイヒャイヒャイトロトーヒューヒャ、トーヒューヒャーヒエヒャイトロと合わせるんですが、何気なく今まで吹けていた部分が昨日はあれ?になってしまいました。これのどことどこがリンクするかをしっかり覚えていなかったということです。

 ではどうしたら良いかというと、今までそれぞれ笛の唱歌、太鼓の唱歌をそれぞれ覚えたんですが、それをもっと高度にリンクして自分の中に再構築しないといけないわけです。それができていなくて、中途半端になっているから間が悪くなっちゃうわけです。

 二つ目の原因は、頭の中の間やリズム、唱歌と言い換えても良いです、を実際手を動かして太鼓を打ったり、笛を吹くのにずれがあるということ。このずれはやっかいでして、まあリズム感が悪いという言葉で片付けられちゃうと身もふたもないことになっちゃいますので、なんとか対応策を考えないといけません。

 大太鼓でいうと、プレモーションが大事。江戸囃子の屋台や四丁目の大太鼓は締太鼓が打っている中の部分部分で入るという、難しいことを要求されています。プレモーションに入る位置、動作の形、この辺り師匠も教えてくださったことをもう一度自分の中に再構築しないといけません。

 獅子の笛でいうと、ドンドンドンの最後のドンを聞いてからチヒヒャイヒャイトと吹いては遅れます。今までの自分を振り返ってみるとそこが一番のポイントだったように思います。今試行錯誤中ですが2回目のドンを聞いたら吹くイメージの方が良い感じです。3回目のドンで息を軽く吸って、ドンドン(ス)チヒヒャイヒャイトの感じです。

 その他にも曲の中でここはもっと陽気にとか元気よくとか、そういうアーティキュレーションにもっと気をつけるように注意をいただきました。

 最後まで吹ける・打てるようになったからこその厳しい指導と前向きに受け止めて頑張ります!

 自分はMだな(笑)